■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■DOMI|MINA■ くるり学 の ■■■■
■ NVS|TIO ■ 牛津録 ■■■■
■ILLV|MEA ■ oxford record ■■■■
■ |VVV| ■ 第六録の三 ■■■■
■■■■■■■************************■■■■
●第六録「亀と羊と兎とハギス」(三)
───────────────────────────────────
◆「いざ、ハギスを食べむ!」
───────────────────────────────────
実は、既に僕らは前菜を平らげた後だった。あんな濃厚そうな巨大肉を、
もし何もお腹に入れない状態で食べたらと思うと、ぞっとする。それでか
どうかは知らないけれど、肉料理ハギスの前に、それはそれは上等なサー
モンのローストを食べさせて頂く。久々の魚って言うのもあって、余計に
美味く感じられた。(読者の皆様、何となくごめんなさい。)
さてさて、やっとこさメイン・コースの出番だ。
そう思いながら、前菜のお皿が下げられるまでの短い間を、隣りのイン
ド人と小難しい話で誤魔化し――華を咲かせつつ待っていた。すると、二
人の間からぬっと手が出てきて「ごめんね」という声が響き、覚えのある
香水の匂いが漂ってきた。
話は全く変わるんだけど、日本の美容室っていい。丁寧だし、細かい指
摘も日本語でできるし、何より美容師さんに素敵な女性が多い。シャンプ
ーする時なんか、うっすら目を開けると薄い布越しの至近距離に何とも言
えない花園のような光景が広がって絶対これは策略だなんて憤りながらか
なり間抜けな顔を……って何を書いているんだ。
つまり、香水の匂いが漂ってきて、思わず目を向けたら、ウェイトレス
さんの胸元が目前に迫って、目のやり場に困りながら一点を凝視してしま
う、ということは僕に限ってありませんが、しかし今日、もし棘なしのバ
ラを道すがら購入していたら、間違いなくソコに一輪の華を差し込もうと
心に決めてみる。そんな風に、妄想の華を咲かせてつつ、食欲と共に違う
欲まで増幅していたら、何と、目の前の胸が、じゃなくて人が「ハ〜イ」
と声を掛けてきた。
「あ」と声を上げたのは僕で、思わずoの形に口を開いたのは、その女性
を見た事があるからだった。
「この前のディナー、ちゃんと食べられた?」そして、アメリカのTV番
組ばりに、百万ポンドの笑顔。去年、フォーマル・ディナーの集合場所を
間違えた時に、偶然出会ったあの女性だった。(*19)
「ああ、ありがとう。ちゃんと食べられたよ」
「そう、それは良かった」
「でも、どうせ食べるんなら、君と一緒に食べたかったね」こんな言葉が
口を突いて出て来るなんて、自分でも褒めちぎりたい。でかしたぞ、自分。
「そうね。Maybe one day!【今度ね】」
おお、マジですか? と、にわかに浮き足立つ。
括弧の中に、「ひょっとして」なんて言葉が入っていることは、この際
忘れよう。それが幸せに生きる術だ。
そうやって一人で興奮して、意味も無くインド人の方を見たりしている
隙に、いつの間にか彼女は、明後日の方に三十歩前進していた。その背中
を眺めながら、僕はひとり呟かざるを得なかった。できるな、と。
一人で、そんな抜き差しならない余韻に浸っていると、今度は後ろの方
から野太くべっとりとした声がブヒブヒ聞こえ、全てをぶち壊しにしてく
れた。
「彼女、明日で辞めるんだぜ」
振り返ると、テーブルの反対側、百キロ超のまん丸い巨体をゆっさゆっ
さと揺らしながら、ホクホク顔でこちらに目を向ける、見た事のある男。
またお前か! この前のホールでウンチクを垂れていた例の北米人だ。潰
れそうな白ワインを掌でナチュラルに隠しながら、クピクピと飲んでいる。
体をゆったりとさせながら――いや正確に言うと、ゆったりとしかできな
いんだが――テーブルの上にもう片方の手を添える彼を見て、僕は呟かざ
るを得なかった。隙がない、と。
彼、アレックス、推定二十代後半、見た目三十代後半。トイレ新聞
(*20)でもネタにされるぐらい僕のカレッジでは有名な、回りくどくジョ
ークを連発する面白変人さんなのだけど、愛嬌があるのやら、無粋なのや
ら分からない。この前も道端ですれ違いざま、「今からどこにいくんだい?」
「いやトイレに……」すると彼は、やれやれと言いたげに、首を横に振り
ながら「はやく行っトイレ」これは完全に日本語だけど、訳すとこんな感
じだ。
そんな彼に「へー、そうなんだ」と適当に相槌を打っていたら、会場の
あちこちからドンドンと音がしてきた。メイン・コースのハギスが中々来
ないから、みんながテーブルを叩き始めたのだ。これで僕が慣れていなかっ
たら、何て失礼な奴らだと思ったに違いない。
木製の長テーブルを、フォークとナイフを手に持ちながら、上下にドン
ドンと叩き続ける。初めて見た時は、今からボイコットでもするのかと驚
いた。それで、困って遠くにいる給仕さん達に目をやると、こちらを見て、
子供でも見るような顔をしながら微笑んでいる。要するに、思わず頬が緩
む、子供っぽいしぐさなのだと解った。それにしても、見た目三十代後半
の無差別級選手までやってるなんてどこか可笑しい。
やれやれ、これだからイギリス人は、なんて表情とは反対の事を思いな
がら、一緒になってテーブルを叩いていると、突如、背中に殺気を感じた。……
僕の背後に誰かいる……。俺の背後に立つじゃねぇっ、と言ったかどうか
は知らないけれど、反射的に振り返って目の前のウェイトレスさんに気付
くと、僕は一瞬大きくのけぞることになる。
ハ、ハギスが二個、いや三個? 四個?
いや、違う。四個に見えている内、二個は偽者だ。僕の眼は誤魔化され
ないぞ。二個は皿の上に乗っていて、もう二つは黒服の中に入っているの
だから。それにしても、黒いハギスと黒い二つ、この二組があまりにも似
ている。そのサイズが。そんな風に、予想と反して何かに驚いた時、人は
なぜか親しい人の顔を見てしまう。何となくこの驚きを伝えようと、隣り
のインド人を振り返って彼の顔を覗き込むと、彼の表情や姿に熱い親近感
を覚えさせられた。口は半開き、目は見開いて、間抜けにハギスを眺める
その姿。イ、インド人でもびっくりだよね。
僕らの間に、四個のハギスが割って入り、その内二つが物も言わず去っ
ていくと、目の前には、真っ二つに割られた黒いハギスの固まりが二個ほ
ど残されていた。ちょうどメロンを二つに割った様な物が、倒れないよう
に皿の上に載せられた感じ。断面が絶壁の様にこちらを睨んで、その黒々
しい濃厚さから中々眼を背けられない。それで、また眼のやり場に困りな
がら、インド人の方に顔を向けたら、また彼は眼を剥き出してびっくりし
ている。
「どうしたの?」お姉さんハギスは姿を消したのだから、今さら驚く理由
が分からない。
「いや、あれ見てみなよ」そう言って彼は、震える指でアレックスの方を
差し、こう続けた。
「ハ、ハギスが、ハギスを……」
振り返ると、例の雪だるまのような北米人が、首に蝶ネクタイをはめて
ナイフとフォークを両手に持ち、今まさに切り刻もうとしている。その先
には、配膳されたばかりでほかほかのハギスが横たわっていて、偶然にも
ハギスの断面はアレックス側を向き、僕らには丸いお尻しか見えていない。
まるで、ディズニー映画の残酷さを見るようだ。生きた巨大ハギスが、
生け捕りにされたばかりの子ハギスを食べている様にしか見えない。そん
な光景を、僕ら二人は隠れるようにして大笑いした。
「親ハギスが子ハギスを食べてる〜」「しかも蝶ネクタイをつけてる〜」
「アーハッハッ……」「イーヒッヒッ……」
僕らが笑っているのを不思議に思ったのか、その親ハギスが突然こちら
を向いた。それで、あまりに突然こちらを向いたものだから、彼のほっぺ
たの肉が付いて来れず、一瞬大きくブルンと震えて――もうだめ、許して。
上機嫌の僕らをよそに、不機嫌なアレックスは(また頬っぺたを揺らし
ながら)プイと顔を背け、隣りの女の子に夢中で話し始めた。不機嫌なハ
ギスにはちょっと悪い事をしたかな。
** **
気を取り直して、僕らはお互いのウィスキーグラスにスコッチを注ぎ、
小さく乾杯をして唸り声を上げた。まだ空腹の胃袋にはかなりこたえる。
「なんでスコットランド人は、こんな物を好きなんだろう」バーンズ・ナ
イトの常とは言え、こぞってスコッチを飲み干すなんてどうかしている。
「仕方ないさ。理由はきっと、ロシア人と変わらないよ」はは、そうに違
いない。「寒すぎて、他にやる事がないのさ」
「でも、バーンズは詩を書いてただろ?」と僕。すると彼は「きっと酔っ
払いながらね」なんて言うから、間髪入れずに「言えてる」とだけ返して、
ハギスをほお張った。
ハギスの味はというと、見た目通りの濃厚さで、羊の味はするのだけど、
それより何より脂っこい。黒々としたラム・ミンチの間に小さな白い固ま
りが見えて、フォークとナイフで触ってみると(*21)、どう考えても脂の
固まり。それが、ころっと転がる。うーん、見ているだけでゲップが出そ
うだ。
そんな顔をしていたら、向かいのアレックスの隣り、スラッとしたイギ
リス紳士候補ギルバートが、僕にプレートを渡してきた。「何それ?」
「リンゴのおろした奴さ。欲しかっただろ?」そう言って、またお決まり
のウィンクをしてきた。
「ありがと」と適当に応えて、早速それをハギスの上に垂らし、試して
みる。するとどうだろう、口の中でプチ革命が起こる。「う、うまい」元
々、今日の為に選別されてきたラム肉をしっかりと料理して出したのだか
ら、まずいはずもないし、ニホンの焼肉で鍛えられた僕に取ってモツ肉は
好物の一つだ。脂っこいのが苦手なだけで、味は問題じゃなかったのかも
知れない。「う、うまいね」そうやって、ついさっきアップル・ソースを
手渡した隣りのインド人を見ると、期待通りの顔を見せてくれる。いい奴
だよ、本当に。
こうなると、俄然アルコールの消費が進む。濃い目の赤ワインと濃厚な
ハギスをほお張り、付け合せの野菜を適当に食べながら胃をごまかす。ア
ルコールが進めば話も進むのは、どうやら万国共通の話。隣りのインド人
と、女の子の話や馬鹿な話なんかをしながら、勢い日本式の乾杯を強要し
たりする(*22)。チン。適当に二人で盛り上がってきた所で、ついにハギ
スへ手が伸びなくなってしまった。見ると再びゲップが出る。「こんなも
のが好きだってんだから、バーンズも風変わりな奴だよなあ」とそいつが
ポツリ。確かにそうかも、それより「バーンズってどんな人か知ってる?」
** **
何ともいいタイミングで近くから、バーンズの話を偉そうにしているの
が聞こえた。タイミングはいいんだが、声が例の重低音というか高音とい
うか、メイプルシロップというかアレックスだった。
「18世紀末の国民的詩人ロバート・バーンズはね、言えば私の父かな」
何でやねん。君は吸血鬼か。
「スコットランドの片田舎に住んで農耕に励んでいたロビーは、云々カン
ヌン」いつの間に仲良しになったんだ、ロビーって。
そう言って彼は、なにやら一編の詩を暗唱し始めた。「野鼠に捧ぐ……」
それ以降、酔っ払っていてよく覚えていない。覚えている所と言ったら……
「このスコットランド語一方言で書かれた文章の中に、彼の最も引用され
る文があるんだ。どれだか分かるかい? 君!」と言って僕を指してきた。
こいつ卑怯者だ。ガイジンさんの僕が、イチイチそんなこと知ってる訳な
いじゃないか。引用というより諺だと彼は言っているが、なぜ犬が歩くと
棒に当たるか、君が知らないのと同じように、僕だって、鼠や人のことな
んて知るわけないじゃないか……ん?
「『鼠と人の最善プラン』原文でプランは "scheme" となっているんだけ
ど、標準英語ではプランだから、プランと引かれることが多いんだな。意
味は、次の行に書いてある」なんてスラスラ言えればいいが、彼はそう言っ
て次の行を訳した。
「しばしば逆に曲がってしまう」
プランやスキームってフローチャートのように流れのあるもんだと理解
すれば分かりやすいのかな。『矢印』のような『プラン』が逆にねじ曲がっ
てしまう。要するに、ダメになるって意味だ。
鼠や人の最善プランなんて、しょっちゅうダメになっちまう。
間違えてないのだけど、よく考えるとそら恐ろしい達観だ。人が殺され
た後でも引用しそうだから、UK人のメンタリティは測り知れないとだけ、
付け加えた方が良さそうな気分。
後で調べて分かったことだけど、この詩はロバート・バーンズの詩の中
で、最も愛されている詩なんだとか。最上級が常に複数っていうのは便利
な言い訳だよな、なんて思いながら、以下に原文を引いてみる。
To A Mouse
『野鼠に捧ぐ』 〜抜粋〜
Thou saw the fields laid bare an' waste,
An' weary winter comin fast,
An' cozie here, beneath the blast,
Thou thought to dwell,
Till crash! the cruel coulter past
Out thro' thy cell.
ぼうぼう畑にお前は出くわし
うんざりな冬もやって来た
ぽかぽかネグラは突風の下
よし 住もうと考えたんだ。
お前の天井 通り抜けてね
残酷クワがクラッシュするまで!
That wee bit heap o' leaves an' stibble,
Has cost thee monie a weary nibble!
Now thou's turned out, for a' thy trouble,
But house or hald,
To thole the winter's sleety dribble,
An' cranreuch cauld.
ちっちゃな葉っぱと刈株の山と
お前の多くのうんざり齧りも
結局わざわざお外に飛び出し
馬 物 全部みぐるみ剥がされ
みぞれ混じりの真冬の雨と
霜の寒さに耐えなきゃならん
But Mousie, thou art no thy lane,
In proving foresight may be vain:
The best laid schemes o' mice an' men
Gang aft agley,
An' lea'e us nought but grief an' pain,
For promis'd joy!
でもね、そこの野鼠さん お前は一人じゃないんだよ
目先のことはひょっとして無駄さ
鼠と人の最善プラン
しょっちゅうダメになっちまう
悲しみ苦痛 残してくれる
約束された お楽しみゆえ!
Still thou are blest, compared wi' me!
The present only toucheth thee:
But och! I backward cast my e'e,
On prospects drear!
An' forward, tho' I canna see,
I guess an' fear!
でもまだお前は、僕よりマシさ!
「現在」は お前のとこだけタッチ
あ でもそうだ! って僕は後ろを振り返る
ああ 何て げんなりな景色!
前はと言うと、見られないんだけどさ、
思い浮かべちゃって 恐いのさ!
(from "To A Mouse" by R.Burns; くるり学訳)(*)
アレックスの朗読でも判ったんだけど、この人の詩は、ナチュラルに歌
になっている。音を合わせる韻文だからってのもあるけど、それにしても
本当に、当然のように自然だ。日本で有名な『蛍の光』も元々はこの人の
詩が始まりで、それに曲をつけてスコットランド民謡としたものだとか。
それと、スコットランドは独自の紙幣を持っているのだけど、その内一枚
は裏に大きく野鼠の絵が書いてあり、この詩を愛する国民の意識が込めら
れてるんだそうだ。
それにても、こんなこと良く知ってるよなあと、アレックスに感心して
いると、「私の父親はスコットランド人ですから」と彼。マジですか。す
ると誰かが、「あれ、君の親はニュージーランドに居たんじゃなかったっ
け?」
ニュージーランド人の大半は、スコットランドから来たと思い込み、そ
れにプライドを持っている。というのは、英語圏では周知の事実だが、ど
うやら大半の苗字はスコットランドの物でなくイングランドの物らしい。
こちらも有名な話だ。結局、彼がしぶしぶ「そうだよ。それが?」といっ
た所で笑いの渦が起こり、話にオチがついてしまった。犬も歩けば棒に当
たるってね。
それとも鼠と人……かな?
(了)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
|